第5章 その1:「パクリタキセル」
パクリタキセル。
投薬治療の第二段階、「パクリタキセル」は、ACほどつらくないですよと、いろんな看護師さんからお聞きしていた。副作用はほぼACと同じだけど、あの「ズーーーン」とくる感じは軽く、ビリビリもないとのこと。ありがたい、と思った。全十二回を、週に一度の頻度ですすめていく予定だ。
パクリタキセルをスタートしたのは2015年の9月。このころ、ものすごく感情をゆさぶられた出来事があった。
4月、ミュージシャンのつんくさんが喉頭がんであることを発表した。そしてこの9月、つんくさんが、テレビで単独インタビューに応じているのをたまたま見た。
衝撃だった。
つんくさんは声帯を摘出し、声を失っていた。
あの、やんちゃな不良がそのまま大人になったようなつんくさんが、もう声を出すことができず歌手生命を絶たれたというだけでも痛々しいのに、筆談のようなかたちで強く意志を伝える姿は、胸に迫るものがあった。
「その判断をベストにするよう、生きるしかない。それが今の僕にできること」
正確な言葉は、もう少し違ったものだったかもしれない。でもとにかく、ものすごく感銘を受けた。つんくさんも最初は治療方針に迷いがあった、と言っていたけれど、この発言は、「自分の選択に責任をもち、すべてを受け入れて生きていく」という彼の魂の宣言であるように、私は思った。そのとおりだ。正解なんて、誰にも分からない。私も、尾田平先生を信じて、悔いなく生きていくしかない。すべては、自分次第なんだ。
立て続けに、川島なお美さんががんで亡くなったというニュースも報道された。なお美さんは、放射線治療も抗がん剤も受けないという自身の選択を貫いた。そして最後の最後まで表舞台に立ち続けるという、かっこいい生き方をした。なんて強固な精神だろう。私にはまねできない。
そして、北斗晶さんの乳がん発表もまた、世間を驚かせていた。
短期間にこれだけの有名人が話題になったせいで、がんに関する世間の興味が、いい意味でも悪い意味でも高まっているのを感じた。テレビでは連日、人々がいろいろなことを論じた。私からしてみたら、「理解が足りない」と、憤りを感じることばかりだった。
「一年で二センチもがんが大きくなるなんて、ありえない」
(ありえる!私の場合は、1か月に1センチだった!)
「健康診断は意味がない」
(意味がある!絶対に行くべき!)
そんな憤りを胸に、神様は、病気は、なんてむごいんだろう…と、つらい気持ちになることもあった。
私にできることは、次のパクリタキセルを耐え抜くこと。そしてすべてをベストにするよう、生きること。
パクリタキセルは、一回の投与に関する副作用は、確かに比較的軽かった。でも、だからこそ長期的にじわじわとつらさが蓄積されてくる。つらいとき、つんくさんの言葉を自分に置き換えて耐え忍んだ。
痛みを知ることの怖さは、自分が苦しいということのほかに、もう一つあることに気づいた。それは、他の人たちが同じ副作用で苦しんでいるすがたを、知っているだけに、見るにも耐えないということだ。これは、ほかのみんなも、たとえばこれを読んで下さっている読者の方々も、きっと同じだと思う。
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