第3章 その2:「AC療法」
ある夜中、胸の痛みから始まって、全身がチクチクするような感覚に包まれ、目が覚めた。
(私、どうなるんじゃろーか…)
その夜は眠れなかった。翌日も、心が落ち着かないまま、入院準備や家の掃除をした。仕事の締作業をするときは、しっかり気をひきしめなくてはならなかった。
「抗がん剤」のイメージが、日に日に強くなり、実感がわいてきた。がん細胞だけではなく、正常な細胞の細胞分裂すらとめてしまう薬が、からだの中に入っていく恐怖に耐えられるのか、自信がなかった。それでも、一方は、これでやっと治療に進めるという、安堵にも似たふしぎな感情があった。
私のようなフリーランスの仕事ではない人たちの中には、毎日オフィスに出勤して、いつもの業務をこなしながらこの投与を続ける人もいる。本当にすごいことだ。だから、物事の良い面に目を向けて、なるべく弱音をはかないように頑張ろう、と思った。
尾田平先生に示されたのは、まず3カ月の「AC療法」だった。(※私の術前化学療法)
- A=アドリアマイシン(Adriamycin)
- C=シクロホスファミド (Cyclophosphamide)
この二種類の抗がん剤の頭文字をとって「AC療法」という。
二種類の異なる作用機序を組み合わせたこの抗がん剤で、私のトリプルネガティブ乳がんをやっつけていくということだ。がんの箇所が小さくなれば、効いているのを確認できることになる。
ACは看護士さんや薬剤師さんが口を揃えて「抗がん剤の中でも一番、副作用がキツイ」という抗がん剤だ。
見た目も強烈で、真っ赤。
これはアドリアマイシンの色のためだけれど、「赤い悪魔」なんて呼ばれているらしい。
私の場合は、術前に、この赤い悪魔を3週間に1回、全部で4回投与するということだった。
最初の投与のための入院は2泊3日の予定だ。
投与に対する異常反応がないことが確認できれば、2回目からは通院による投与となる。
2泊3日も入院するのは、なんだか長いような気がした。
だけど病院にはコンビニもあるし、何かが足りなければすぐに調達することができる環境が揃っているということだったので、荷づくりの準備にはさほど時間がかからなかった。
旅行であれば、洋服や小物をあれもこれも…と考えて荷づくりをするものだろうけれど、病院で着飾ることもないだろうし、持っていくものは最小限にしておけばよいと思うと、案外小さなバッグに全てのものが収まった。
慎重な性格の母親は、自分の入院経験から、「あれもこれも必要」と、もっといろいろなものを持ってきてくれようとしていた。
(あとでわかったことだけれど、大量のマスクや手袋、うがい薬なんかはわたし用ではなく、母親専用のものだった…。まるで母自身が入院をするかのような装備で、杏莉は驚きました、お母さん。笑)
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