第2章 その10:「決断」
子どもの頃から、自発的に、「決断」をしたことなんてなかった。目標は平均的な人生。 もちろん、大学受験とか、少しは頑張ってきたつもりだ。だけど、自分の実力をはるかに超えた困難の壁を乗り越えなくてはならない状況には、なったことがなかった。…というよりも、責任が発生しそうな方向へは決して行かないように、それとなく舵をきってきた、といったほうが正しいかもしれない。
私は大きな流れに身をゆだねるという心地よさに、すっかり慣れきってしまっていた。
産婦人科の診療室を出て、待合室へ移動し、夫と話をした。
「私に何かあったとして、もし、一人になっちゃった、っていうときに、子どもがいたほうが嬉しい?」
私は夫に聞いた。
「…それはそのときになってみんとわからんよ。」と夫は答えた。
この会話も、的外れだということはわかっていた。決断しなくてはいけないのは、乳がん治療より先に受精卵凍結をするかどうかということだ。
でも考えられなかった。自分がいずれ決めなくてはならないと思うと、思考停止しそうだった。
私は自分の身に起こっていることを、誰かが代わりに受け止めてくれることを求めていた。優しい夫はもちろん、それをわかっていたに違いなかった。
気持ちが限界まで追い詰められている私に、夫は言った。
「自分たちに子供が授かれる時が来たら、自然にやってくるよ。正直僕は、子供はどちらでもいい。何が何でも子供が欲しいとは思っていなかったし、夫婦二人で歩む人生も素敵かなって思う。そんな人生を考えてみるのもいいんじゃない?」
ハッとした。
こういうことでもなければ聞けなかった夫の本音かもしれなかった。
そうだ、これは、夫と私の問題でもあったのだ。
こんな大事な夫婦の問題なのに、夫と向き合い、「一緒に解決の方法を探す」という考えすら持てないなんて、私はなんて甘ちゃんなんだろう。
いつも誰かを頼って、助けてもらって、支えてもらって当然だと思っていた私は、問題そのものを誰かに丸投げすることで、完全に逃げていた。
私は、結婚したから子どもを持つということがフツーの流れだと、なんとなく信じていた。
どうして自分は子どもを持ちたいのだろう?というか、子どもに何をしてあげたいのだろう?
私がイメージしていたのは、ハイハイしている愛くるしい赤ちゃんのことだけだ。だけど、その子が成長して大人になり、一人の人間として社会に出ていくことに誇りと責任をもつという覚悟が、できているんだろうか?
私は、世間一般の王道を、危ぶむことなく後をついていくことで、「自分が」「ただなんとなく」、幸せになれると思い込んでいただけなんじゃないだろうか?
そして私はそれを、夫も同じ考えであるはずだと、向き合うこともせず、勝手に思い込んでいたのではないだろうか?
不妊治療に病院を訪れる方々もたくさんいる。今日まで知らなかったことがたくさんある。希子さんも路武さんも、静かに闘いながら、明るく前を向いている。
これまで、あまりにも、自分が見たことや聞いたこと、つまりは物事のうわべだけで、判断していなかっただろうか。
そんな薄く浅い考えしか持っていなかった私は、なんて未熟だったのだろう…。
夫と話し合い、私は決めた。生まれて初めて自分で決断した。
まずは、自分が健康に、元気になること。
これからの未来、自分で運命を切り拓いていくために。
だから、一日も早く抗がん剤を開始する!
この日の日記にはこう書いた。
「今日の選択に後悔はしない。
いつか路武さんみたいに、自分の生き方をカッコ良く語る!」
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