第2章 その1:「その先」




 数日後にK病院へ行くことが決まった。その間、何も手につかなかった。人にも会いたくない。自宅でただ機械的に仕事をこなした。

 腕とわきの下が痛い。夜になると頭も…あっちもこっちも痛い!

 精神的なものかもしれないけれど、全身のいたるところがかゆいような気もしてきて、落ち着かない。頭痛がひどいときは吐き気もするようになって、痛み止めのロキソニンを飲んだりもした。




 「どうしてこんなに痛いんだろ…。」と、あまりにも不安になった私は、誰に言うでもなくつぶやいていた。クリニックの先生は、「がん細胞に痛みはない」と言われていたはずなのに…。

 「痛くてよかったじゃない。」と、夫はそんなことを言った。

 「えっ?」

 「最初に痛みがあったから、病気に気がつくことができたんだよ。もし全然痛くなかったら、今でも病気に気がつかないままだと思うよ。早く発見できたんだから、良かったよ。」

 夫に言われるまで、そういうふうに考えたことはなかった。




 乳がんが5センチ近くになるまで、全く気がつかなかった。気がついたときはステージⅡで、リンパ節への転移もおそらくある、と診断されるほどの進行だった。クリニックでは、「こんなに大きくなるまで気がつかなかったのか」と、責められているようにも感じていた。

 だけど、確かに、夫の言う通りで、私が勝手に、「発見されるのが遅かった」と、思い込んでいるだけなのかもしれない。そう考えると、なんだか少し、救われるような気持ちがした




 わたしの中には、矛盾するふたつの気持ちがあった。「早く治療して、少しでもがんの進行を止めたい。こんなことしてる場合じゃない。」という焦りと、「治療が始まったら、しばらくはこの日常とはお別れだから、この瞬間をゆっくり味わって過ごしたい。」という気持ち。

 こんなことを思いながら過ごす日々は、私の価値観を少しずつ変化させつつあった。




 この頃、夫は休みのたびに、私の気分転換にといろいろなところへ連れて行ってくれた。

 夏の始まりを期待させる、とても天気のよい日が続いていた。私たちは姫路城や淡路島へ日帰り旅行をした。夫は前職で建築の仕事をしていたこともあり、総工事期間5年半に及んだ「平成の大修理」を終えたばかりの姫路城に興味があったようで、かねてから二人で行きたいと言っていたのだ。




左:杏莉 右:杏莉の旦那さん ※2015年5月25日姫路城にて



 遠目からでも真っ白に輝く姫路城は凛としていて、白鷲の天守閣は、とても美しかった!

 夫が「杏莉の病気が治ったら、スペインに行こうよ。」と言った。「サグラダ・ファミリアにもう一度行きたいなと思っているんだ。」

 建築が好きな夫は、これまでも何度かそう言っていた。そういえば、私たちは、なんとなく忙しい日々にかまけて、新婚旅行にも行っていなかった。

 サグラダ・ファミリア…。きっと楽しいだろうな。




 病気が治ったら…。




 私は、がんと宣告されて、すぐ先にある治療や手術が怖すぎて、胸が痛すぎて、いっぱいいっぱいになって、そこしか見えていなかった。

 だけど、今はまだ見えなくても、一歩一歩進めば、きっと見えるようになる視界がある。

 一年後か二年度、三年後かもわからないけれど、病気が治って、スペインに行っているかもしれない。夫はもう、すでにそこに目を向けてくれている。

 だから「その先」を信じて、やってみるしかない!




 自然の景色も、たわいもない夫との会話も、おみやげ屋さんでの甘いフローズンコーラも、すべてが感動的で、胸にしみた。

 何をするにもこれまでとは、世界が違って見えるような気がする。




 頭上を一羽の白い鳥が飛んで行った。彼の目的地はどこだろう?







Pink Rebooorn Story

2024現在、たいへん健康^^ 2015年にステージⅡb、大きさ4.7センチ、Ki67:87%の乳がん発覚。 このサイトでは、乳がん発覚〜術前抗がん剤〜手術+再建終了までの 約1年間の闘病生活を振り返り時系列で綴っています。 待望の妊娠!と思ったら、トリプルネガティブ乳がんでした…

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