第1章 その3:「子どもがほしいんです」
翌日、あんなに痛みのあった胸には、もはや違和感すらなくなっていた。あまりに何ごともなくなっていたので、むしろ妊娠の期待が高まる、ワクワクした気持ちにすらなっていった。
お昼前に打ち合わせが終わり、念のため、自宅近くの乳腺外科へ行った。待合室にいるときにたまたま母親から電話がかかってきた。明け方の出来事を話したところ、心配性な母親はいろいろと懸念を伝えてくるので「ま、がんとかじゃないと思うよ~。」と、軽く言ってやりとりを終えた。
触診のあとはエコー(※)と呼ばれる検査だった。二人の先生が、どちらもそれぞれ神妙な面持ちで、注意深く画像に見入り、何やら慎重に確認し合いながら、診療を続けている。画像に黒いかたまりが映し出されていたのがちらっと見え、素人のわたしがみてもそれは大きな異常がありそうなくらいの存在感だったのだけれども、危機感はなかった。何か妊娠に関係した、からだの変化の一つなのかもしれないな、と思ったくらいだった。
今、振り返ってみると、どんだけ危機意識なかったんだ、私。
診察が全て完了し、先生の言葉を聞くまで、私はのん気だった。「リング形状型のしこりが確認できます。この、真ん中の黒いものは、汚水が溜まっている状態と思われます。しこりが炎症を起こし、痛みの原因になっているのでしょう。7か月前にこちらで検査を受けて要検査となっていましたね。7か月でこんなに大きくなるしこりは、もしかしたら悪いものかもしれないので、明日マンモグラフィとMRI、針生検(はりせいけん)をしましょう。」と先生は言った。
よくわからなかった。突然、大きな不安が、大きな雨雲となって、心に広がっていった。
「あの…先生、私、子どもがほしいんです。」いろいろ先生に聞きたいことはあったのに、口をついて出たのはそんな言葉だった。
「今あなた自身の命の話をしているんですよ。」と言った先生は真顔だった。
「最悪の場合の話をしますと」と、先生は続けた。「がん細胞が認められた場合、乳房摘出手術をすることになると思ってください。ステージが進んでいる場合は、抗がん剤治療も必要になります。一般的には、あなたの年齢から抗がん剤を始めた場合、妊娠の可能性は極めて低くなります。」
- 超音波検査(エコー検査) 超音波を乳房に当ててその反射波を利用して画像をつくる。乳房内にしこりがあるかどうかの診断に有効。
0コメント