第5章 その5:「乳がん、さようなら」〜後編〜
※前編に引き続き、杏莉の夫が執筆中。
杏莉は乳がん切除と同時に再建まで行うことにしていました。
摘出手術よりも再建手術の方が多くの時間を要しました。杏莉を見送ったのが朝、すでに外は薄暗くなり一体何時間経ったのかすらわからなくなってきた頃、携帯が鳴りました。再建手術が終わったという知らせでした。
そのころには杏莉のお父さんも仕事を終えて駆けつけていましたので、四人でリカバリ室へ向かいました。
リカバリ室とは、手術室と前室の間にある、患者の容態が落ち着くまで待機させておくための中部屋です。医療ドラマのワンシーンさながら、白衣の人々がせわしなく動き回っていました。
「杏莉さーん、分かりますかー、ご主人ですよ」
彼女は朦朧とした様子で、とても話せる状態ではありませんでしたが、確かに意識はあるようでした。安堵感からか妻の瞳から涙が一粒こぼれました。
顔色が思ったほど悪くなくて安心しました。でも存在感がとても弱くはかなくて、この世に生まれたての小動物みたいだったのを覚えています。
(あっという間だったーーー…)
なんとなく、そんなふうに言っているように感じ取りました。
そこで僕は、彼女には身体的な痛みとか苦しみといったものはなかったのだろうと察しました。そのことは少し僕の心を軽くしました。
ふと辺りを見回すと、リカバリ室の後ろの方で、杏莉のお父さんが色々な機材に関心を持ってウロチョロされているのが見えました。画面をのぞき込んでは看護師さんに制止されている姿を見て、なおさら緊張がほぐれました(笑)。
元技術屋のお義父さんらしいやと。
(娘さんが大変だったんですよー)
と、心でつっこんでみました。
のちほど形成外科の田辺先生から再建の結果もご報告いただきました。
「けっこう、きれいに成型できていますよ」
「けっこうきれい」というのがどういう状態か想像もつきませんが、このとき浮かんだのは、尾田平先生のタッパーに入っていたアレです。
実際はもっと少ないのかもしれませんが、腹部から胸部へ移動する(自家組織を使って再建)には考えられないほどの容量でした。杏莉はもともと体が小さいので、果たしてじゅうぶんに確保できたのだろうか…? などとリアルに想像していると、自分の体が切られているようで、鳥肌が立ちました。
こうして僕にとって一番長い一日が無事に終わりました。なんだかんだ笑って一日の終わりを迎えられることに只々ありがたく思いました。また妻と一緒に過ごしていけることに感謝しました。
二人でいることが当たり前な夫婦。
でもそれは一瞬で当たり前ではなく、特別なことへ変わる出来事でした。改めて一緒に過ごせる幸せを感じられることで、これまで以上に二人の時間を大切に過ごしていきたいと思いました。
悲しいけど人生はいつか終わることを再認識しましたが、その分終わるからこそ今を大切に生きていこうとも思いました。妻と二人で笑っている時間を少しでも長くと。
「がんばったね」とありきたりなセリフしか言えない僕。
でもその一言にはすべてを込めたつもりです。僕らの「これまでと、これから」を。
尾田平先生、田辺先生、そして病院の皆さま、本当にありがとうございました。
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