第3章 その4:「奈落の底」





 私は、カーテンを開けることをためらい、しばらく耳を澄ましていた。




「ここは、今日から入院の患者、平西杏莉さんの病床です。乳がん、35歳、ステージⅡbで、明日から抗がん剤投与開始の予定です。」



 声の主は、女性。

 その声が誰なのか、わからなかった。

 そして、ことさら強調するように、こう言った。




「この患者さんは、『トリプルネガティブ』です。」




・・・!







 そんなこと、わかってる。

 だけど、ショックだ。



「平西さん、こんばんは。」

 カーテンが開かれた。

 顔と声が一致した。その声の持ち主は、尾田平先生の第一弟子(と私が勝手に呼んでいる)、女性の若手ドクターだった。背後には、他のドクターが7、8名並んでいた。

「今、若手のドクターで病棟を回らせていただいています。体調はいかがでしょうか?」

「あ、はい。大丈夫です」

 平常心を装って答えたけれど、こんな大人数での訪問があるなんてことは知らされておらず、何事なのだろうかと私は緊張しはじめた。



「この患者さんの治療方針としては、術前、まず3週間に一度のAC投与です。」

 女性ドクターは、聞いている人達がメモをとれるように、発言と発言の間に少し間を置きながら私の治療方針の説明を始めた。

 若手のドクターと呼ばれたその人たちは、女性ドクターの説明をおとなししく聞き、何か特別に反応するということもなかった。チャラい感じの人もいれば、まじめで無表情な人もいたし、私の方へにこやかな笑顔を向けてくる人もいた。




 私に対して診察をするとか、検査をするとか、そういう類いの訪問ではないようだけれど、こんなに大勢のドクターに囲まれるなんて、気恥ずかしかった。言葉の通り、生きた標本として扱われているかのようで、全く心地よい感じがしなかった。




(乳腺外科のドクターは、トリプルネガティブ乳がんのこともよく知っているはずなのに、「わざわざ」こんなかたちで紹介されるなんて…。

やっぱり私のがんは「異常なくらい悪い、注目すべきケース」と見なされているのではないだろうか…。)




 さらに「トリプルネガティブ乳がん患者への治療」がこの病院にとって最重要事項なのであって、平西杏里という一人の人間については、(さらに言うなら、その人間の生死については)どーでもいいのだと見なされているような気がした。それもつらかった。




 自分本位な患者の意見かもしれないけれど、治療方針やトリプルネガティブのことをこの場所で話すのではなく、前情報として共有しておいてもよいのじゃないだろうか、と思った。

 この不親切な訪問に比べると、あの尾田平先生の素っ気ない訪問すら、優しく思えた。




 一体どうしてわざわざこんな巡回があったのだろう…。

 モヤモヤした。

 夫に電話してみようかな、と考えたけれど、余計な心配をかけてしまうことがいやで、やめておいた。まだ入院して半日ほどしか経ってないのにもう不安だなんて、私の心が弱すぎるのかもしれない。




 その夜、また悪い癖が出てしまい、消灯後にネットでトリプルネガティブのことを調べまくってしまった。こんなタイミングで調べたところで、まさにまな板の鯉。明日から抗がん剤投与が始まるわけだし、そもそもトリプルネガティブ乳がんであるという事実を変えることはできない。




 だけど…わざわざ女性ドクターが他のドクターを連れてきて、「この患者さんはトリプルネガティブです」と強調したりするなんて…

 もしかして私…言葉にしたくなんかないけど…




死ぬ感じ?




 不安はあったものの、ある種の心の整理はつけられた状態で入院できたと感じていた。夜までは順調だった。ここで出された夕食も美味しくいただいたのだ。

 しかし、「死ぬ」という言葉が頭をよぎっただけで震えてきた。




「トリプルネガティブ闘病」

「トリプルネガティブ生存率」

「トリプルネガティブ余命」




 そんな言葉をインターネットで検索、検索、検索…。

 恐ろしげな負の情報は「本気にしない方がいい」と頭ではわかっているものの、安心できる言葉を見つけたい一心で、検索がやめられなかった。

 ここにきてまた私は、一気に奈落の底へ突き落されたような気持ちだった。




 カーテンに囲まれた病床で、たったひとり。




 ネットの情報を読み漁りながら、悶々とし、夜が明けるのを待った。







………………… 補 足 …………………

 私が奈落の底へ突き落とされたような気持ちになったのは、ドクターたちによるヒソヒソ話ではなく、自分が行ったネットサーフィンによるものです。

 このとき私は、「自分のがんのことについて、ネットに悪いことしか書いていない!」と、絶望的な気持ちになっていきました。夜の病室には、その暗い気持ちを中和できる話し相手もいませんので、発散できない悲しみやいら立ちを孤独に溜め込むしかない、つらい状況でもありました。

 このようなときの脳は、負の情報しかキャッチできず、誇大妄想をはじめます。自分で自分の弱い心をどんどん追い込んでいくものです。

 しかし冷静になって情報を得ようとするとき、同じ情報をみても、その中から正しさや希望を拾い取ることができるものです。

 心がいちばんつらいときに、自分のがんのことを調べなくてもよいのだと思います。

 自分のことを客観的に見られるような余裕がもてるまで、後回しにしてもいいのです。

 アドバイスなんて大したことではないのですが、私と同じように、心を病んでしまいそうなぐらいのギリギリのところでつらい思いをされている方がいらっしゃるかもしれませんので、その方々のために、あえてここに補足を載せさせていただきました。







Pink Rebooorn Story

2024現在、たいへん健康^^ 2015年にステージⅡb、大きさ4.7センチ、Ki67:87%の乳がん発覚。 このサイトでは、乳がん発覚〜術前抗がん剤〜手術+再建終了までの 約1年間の闘病生活を振り返り時系列で綴っています。 待望の妊娠!と思ったら、トリプルネガティブ乳がんでした…

0コメント

  • 1000 / 1000