第2章 その7:「トリプルネガティブ」
主治医の尾田平先生によると、「PETの検査結果が出るまでは、特にするべきことはなし」ということだったので、その数日間、インターネットや本で乳がんのことを調べ続けた。
乳がんのことを勉強するというよりは、自分を安心させてくれる魔法の言葉や、前向きになれる情報を探した、といったほうが正しいと思う。
正直なところ、このときに、闘病をされている方の体験記(ブログ等)を読むことは、つらかった。
彼らの体験はどれも素晴らしかった。
仕事を続けながら、子育てしながら、抗がん剤治療をされている方々もたくさんいらっしゃった。
「運命に立ち向かっていく!」という彼らの宣言が、逆に、私の心の弱い部分に刺さった。
(私は絶対こんなふうにはなれない…。)
誰かが頭をよしよししてくれて、「痛いの痛いのとんでけー!」を何回もしてくれて、「治ったよ、杏莉!」と言ってくれたらいいのに…。
そんな甘いことを考えていると、決まって想像の中にはドSの尾田平先生が登場して、
「平西さん、術前に化学療法でがんを小さくしてから、切るよ。」
と私に向かって、あの怖い顔で、(しかもちょっとニヤッとして)言うのだった。
「トリプルネガティブ」という言葉を知ったのはその頃だった。
簡単にいうと、トリプル(三つ)のがん細胞増殖要因に対して、ネガティブ(陰性)とされているタイプの乳がんが、そう呼ばれているということだった。
トリプルネガティブ乳がんは、明らかな標的療法がないことに加え、進行も早い、ということだ。
さらには、「治療が難しく、再発の可能性が高く、予後が良くない」とも、インターネットの記事には書かれていた。
ポジティブな情報も書かれていたのかもしれないけれど、私の脳は、インパクトの強い情報にのみ引き付けられてしまうという癖がついてしまっていた。そして、往々にしてそれは、わたしをどんどん追い込んでいった。
人は「自分が選択した情報だけを見てしまう」というけど、その通りだと思った。
数日後、私は、夫と母と一緒にK病院へ行った。尾田平先生から、PET検査の結果が知らされた。
「乳がんステージⅡb、大きさ4.7センチ、ki67(※)=87%」
「ki67」という値は、がんの進行スピードを示すもので、87%なんて高値は、私がこれまで見てきた同病の方のブログなどでは出会ったことのない数字だった。
得体の知れない恐怖に身震いした。
一週間前、クリニックでの検査結果は、4.3センチだった。ki値からもわかるように、たったの一週間でがんが4ミリも大きくなっていた。
尾田平先生は、いつものように淡々と説明した。
「エストロゲン、プロゲステロン、ハーツー、どれも受容体がない。つまり、ホルモン療法と、『ハーセプチン』は効かんということじゃな。」(※)
出ばなからちんぷんかんぷんな私と主人に反して、数字と記号でいっぱいのデータを読み解いていく尾田平先生は、静かに楽しんでいるようにも見えた。
ふむふむと全データを確認し終えると、尾田平先生は、治療方針について話し始めた。
「この、3つの受容体がない乳がんの治療法は、化学療法と手術だけ。からだのどこかに潜んでいるがん細胞を根絶するためには、術前もしくは術後に化学療法を行う必要がある。といっても、このタイプの場合、対象がないのに化学療法をしても意味がない。前回言った通りに、化学療法でまずはがんを小さくして、それから摘出手術をする。まあ、腫瘍がこのサイズじゃけん、全摘になるじゃろうな。だいたい、乳がん全体の15%くらいの人が、平西さんと同じようなタイプということじゃな。」
そこまで言われて、あれ?どこかで読んだような内容だな、と私が思ったとき、尾田平先生は、ごく自然な感じで、さり気なく、
「いわゆるトリプルネガティブってヤツじゃわな。」
と付け足した。
え
ま さ か の
ト リ プ ル ネ ガ テ ィ ブ ! ?
- Ki67 細胞増殖の程度を表す指標。1個の細胞が2個に、2個の細胞が4個に増えることを細胞の増殖という。一般的に、細胞が増殖する能力(増殖能)の高い乳がんは低い乳がんに比べて、悪性度が高く、抗がん剤が効きやすいといわれている。
- エストロゲン受容体・プロゲステロン受容体・HER2(ハーツー) 乳がんにホルモン受容体であるエストロゲン受容体とプロゲステロン受容体のどちらかがあれば、ホルモン受容体陽性がんとなり、ホルモン療法が有効。細胞表面にHER2タンパクをもっている乳がんには、抗HER2薬であるハーセプチンを用い治療する。
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