第2章 その4:「私の主治医③」
専門用語やガイドラインのことをを覚えるため、遅くまでネットで乳がんのことをいろいろと調べていたので、寝不足だった。こんな付け焼刃の知識では、尾田平先生に太刀打ちできないことはわかっていたけれど、尾田平先生が怖すぎて、何か準備をせずにはいられなかった。
私、まるで、試験前の学生の頃に戻ったみたい、と思った。
グラフィックデザインの勉強については、興味が尽きることがなかった。調べものをしていたらあっという間に時がたち、それを苦だと思ったことはなかった。
家族にもよく言われるのだけれども、ひとたび興味をもったものに関しては、とことんのめりこんでしまう性格だ。
かといって人前でその知識を活用できるかというとそうでもなく、特に、目上の人とのコミュニケーションは大の苦手。練習や予習をしてきたはずなのに、なんだか自信がなくなってしまい、話したいことがうまく伝えられない…ということがこれまでによくあった。
尾田平先生は、そんな私の、今までに出会ってきた「怖い人」を、10人くらい束ねた以上の「本物の怖い人」だった。
乳がん患者になったということを受け入れるのでさえ、怖くて嫌なことだけれど、機嫌が悪くて今にも人に噛みつきそうなブルドックとしか思えない顔の尾田平先生を、「私の主治医」だと受け入れることのほうが、正直、もっと嫌だった。
主治医決定システムはよくわからないけれど、できることなら、優しくてもう少し若い、イケメンの先生に交代にならないだろうか。多くの患者さんがこの先生の診察や執刀を望んでいるなんて、何かの間違いなんじゃないだろうか。
PET検査の日までに、どうしても夫にも一緒に尾田平先生の話を聞いてもらいたかったので、夫にも病院にも無理を言って、もう一度診察を入れてもらった。
今回は、夫と母親に付き添いをしてもらった。夫が一緒に話を聞いてくれれば、私の気持ちや質問を代弁してくれるだろうと思い、自分を励まして、家を出た。
しかし、あんなに予習をしたにも関わらず、今日も尾田平節は全開で、説明が全然わからなかった。
先日の診察のときにもいた助手のような看護師さんが、その都度、少し補足説明をフォローしてくれることで、私はなんとか説明についていっている感じだった。
夫も尾田平先生に対して、私と同じように感じたようで、「質問はありますか。」と尾田平先生が言ったときに、夫はこのように答えた。
「先生。」
「…何でしょう。」
「先生は何千人も乳がんの方を診てこられたかもわからないけど、僕らは初めてなんですよ。僕にとっては大事な家族の命にかかわる話をしているんです。ちゃんと理解したいんです。だから、もう少しわかるように喋ってもらえますか。」
なんて頼もしい夫だろう!
私は感動していた。と同時に、尾田平先生がどう反応するか怖くもあった。
先生は、夫のその言葉に一瞬止まった。そして、ちょっとニヤッとすると、
「術前検査が済んでないから、今の段階で言えることは予想でしかないわな。検査で詳しいことがわかったらまた言うけど、たぶんこのケースだと、術前に化学療法をして、がんを小さくしてから、切る。」
と、視線をあげて、夫と私の顔をかわるがわる見ながら、言った。
それは、たった今までの冷淡な尾田平先生ではなく、乳がん研究と執刀に人生を捧げてきた、自信に満ちあふれている「ドクター」の尾田平先生だった。
私の乳がんにこれから挑んでいくことを、楽しみにしているような、勝ちにいってやると宣言したような、そんな表情でさえあった。
なんだか、尾田平先生の「人間味」のようなものを、初めて感じた瞬間だった。
尾田平先生と私たちの距離が、少し近くなった気がして、私はなんだか嬉しくなった。
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